やきいもの想うこと

ADD陰キャ主婦の頭の中

発達障害と診断されるまで3

なんでこんなにダメなんだろう。
2社目を退職後、鬱病になり、数年間は短期の職を転々とした。
幸い、親が援助してくれて何とかやり過ごせていただけだ。


ついに診断へ

なぜあれから数年も診断にかかったのかというと、
一番は家族の説得に時間を要したからだ。*1
特に親は「発達障害」ということを口にすると、逆上するか、
考えすぎだと私を説き伏せようとした。恐らく遺伝という観点から、
自身の責任があると考えている節があった。それを認めたくなかったようだ。

しかしながら私の鬱が進行し、飲食を忘れてベッドに死人のように横たわっていることが増えた。筋力も衰え、近所の平地を歩くだけでも意気があがるようになっていた。そしてその時期をきっかけに、親が一緒に病院に来てくれることに繋がった。

まずは、最寄りの支援センターで情報を収集し、発達障害関連に理解のあるような病院を探した。

そして、親に同伴してもらう形で「ADD(ADHD)」という診断名が下った。
診断の時の状況となぜ(ADHD)なのかは別のブログに書き記そうと思う。

ここに来るまで短いようで長かった。
今ではメディアでもよく話題になる「発達障害」だが、ほんの数年前まではほとんどの人が知らなかったであろう。

私からみて親もゴリゴリの発達障害なのだが、うっすら自覚があるのもあって認めたくない人を病院に連れて行くのは至難の業だった。

診断後の就職が良くなったかどうかについては何とも言えない。
ほとんどクローズ状態でしか仕事をしていないから。これもまた
別記事にしようと思う。

でも、「自分を知る」という点と、「家族の発達障害への理解」という点では
診断を受けて良かったと思う。
もちろん、家族からの完全理解は望めないし、
それは不可能に近いという事は先に述べておきたい。

*1:近年の発達障害の診断方法はわからないが、当時は診断の判断材料として自身の過去の通信簿や、幼少期を知る家族などの証言などを参考にして判断していた為親に同伴してもらう必要があった。
(地域や病院の方針によって違いはあるかもしれないのであしからず)