やきいもの想うこと

ADD陰キャ主婦の頭の中

発達障害(ADD/ADHD)と診断されたとき

以前のブログ記事で「発達障害」と診断されるに至った経緯について
ざっと思い起こして書いてきた。
今回は診断された時の詳細についての補足だ。
診断状況や診断方法については当時のものであり、病院によっては
違う場合もあるのでそこはご理解いただきたい。

経緯も知りたい方は↓↓↓こちらから(3までつづくよ)

yakiimoiinioi.hatenadiary.com

 

先ずは支援センターへ

病院は「発達障害支援センター」で紹介されたところに行った。
とりあえず診察を受けてみたい人で病院などの目星がつかない場合は、
私のように住まいの近くの支援センターを訪ねるといい。
支援センターという名だが、必ずしも診断済みの人だけではなく、
未診断でその疑いがある人に向けての支援も行っているので。
私は親同伴で予約をして、相談に行って紹介に繋がった。

 

いざ病院へ

そこの病院は心理系・精神科の専門病院で、ぶっちゃけ色々不安定な患者も多くいる。
支援センターへ行ったときと同様、親に同伴してもらい、診察した。
話の信憑性をもたせるために、学生時代の通信簿も持参した。

先ずはカウンセリング。
なぜ診察を受けに来たのかを答える。私の場合は、自分がもしかしたらADHD/ADDの
可能性があるかもしれないので、そこをはっきりさせたいと回答した。
そこから医師の質問等に答えながら、自分の生い立ちや生活する上での困りごとなどを話していく。その流れで、親にも同様の質問がある。幼少期どんな子だったか(私が)、何か他の子と変わっているような部分はないか、などだ。
この際に、持参した通信簿などを見せて答えることもあった。

生活での困りごとは主に以下の4つを回答した。
細かく言うならばもっとある。

  • 遅刻
  • 忘れ物
  • 不注意/注意散漫
  • 先送り癖

特に上から3つについては、通信簿の担任からのメッセージの欄でも指摘を受けていたので、きっと判断基準になっただろう。

一通りのカウンセリングの後、医師からほぼほぼADD(ADHD)であると言われたが、もう少し判断するのに知能テスト=WAIS検査をすすめられた。
この日は、これで終了。親はまだ決まった分けじゃない、と言っていたが、私自身はほぼ確信していた。

WAIS検査・レポートを受けて診断

そして後日WAIS検査を受け、レポートを見ながら正式にADDと診断名がくだされた。
ちなみに、WAIS検査をする専門の係の人が医師とは別にいて、もし検査を受ける場合はレポートは事前にお願いしておいたほうがいい。言わないと書いてくれない(患者用には用意していない?)場合もあるそうだ。

診断時、医師からは「軽度のADD(ADHD)」と言われた。
なぜ括弧でADHDなのかというと、恐らく幼少期は私はADHDだった。
自分でも分かるほど衝動的な行動が多く、周囲を困らせていた。
しかし、次第に行動面での衝動性は少なくなり(決して0になったわけではない)
不注意などのほかの症状で困ることが多くなった。

治療(対策)、予防として

投薬について

治すわけでは無いが、緩和治療として処方されたのが、「ストラテラ」。
コンサータについては、作用が強いのであまり薦められないと言っていた。
この点については賛否両論あるが、私自身もあまり強い薬を使用することに抵抗があったので、医師の判断のまま従うことにした。
しかしながら、どちらの薬も合う合わないがあるので、合う人にとっては自立や生活の助けになるであろうと思っているので、作用が強くでるからといってその薬を批判、拒絶するわけでは決して無いのであしからず。

その他の療法

薬の他、医師に薦められた療法がある。
それが、日記やジャーナリングだ。
これはいかなる病にもいえることだが、自身について観察し、記録をつけることで改善へと向かう手助けになる。精神的な病や障害など目に見えないものに関しては特に役に立つと。
毎日の体調や気分が投薬後や療法後、どのように身体に変化があるのか。
はたまた、全く変わらないのか。
薬や療法の経過などについてはまた後日改めて別記事にするとする。

以上が私の発達障害の診断名がくだされた際の詳細だ。
長文で読み辛い中、最後まで耐えてくれてありがとう。