やきいもの想うこと

ADD陰キャ主婦の頭の中

発達障害と診断されるまで

自分が発達障害だと自覚したのは就職してからすぐのこと。

 

最初の会社

新卒で入社したのは、発達障害界隈では鬼門中の鬼門、金融関係の会社だ。
もちろん、業務内容と個人の特性により、発達障害の中でも向き不向きがあるが、
私の場合は不注意型のADD(ADHD)なので、金融事務という職種とその類の会社は不利でしかなかった。

案の定、私の中の注意散漫&不注意が頭角を現し、あれよあれよと上司から嫌われ、
瞬く間に孤立してしまった。ミスにミスを重ね、ついには同僚からミスをなすりつけられたり、面倒くさい仕事を押し付けられるようになった。もちろん、それについて反論もしたが、いつもミスをやらかす私の意見には聞く耳を持ってくれなかった。

そんなこんなで体調を崩すようになり、産業医に通院することになった。
それでも状況が改善するはずもなく、ボーナスをもらうことに対して嫌味を言われたり、全然関係の無いポスターが曲がっているなどの理由でチクチク毎日責められた。
しまいには、仕事を故意に与えずに放置プレイさせられるという精神的な嫌がらせが増えた。

無論、私の仕事の出来なさに関しては何も言えなかった。しかし、一方でそれに対して開き直っていたことは一度もない。朝誰よりも早く出勤し、始業前の雑務を全部一人でこなした上でマニュアルを復習し、ミスした部分を何度も確認したり、自分なりに努力はした。

しかし、もう私の印象は「何をしてもダメな奴」で止まっているので、
ミスをすればそのイメージが濃くなるだけで、フォローはないばかりか、
どんなに些細なことでも文句をつけられるようになった。挨拶も無視され、業務連絡すら嫌そうな顔をされる日々。今思うと、この時期のミスは鬱状態のものも多々あっただろう。毎日朝会社に行く前の電車内で涙が止まらなかった。

こうなると挽回の余地はもう無く、この状況に心身ともに耐えられなくなった私はこの会社を退職した。

この会社で働いてから、私は自分自身の「普通ではない」に目を向けることになった。
そこから発達障害について色々と調べるようになった。