やきいもの想うこと

ADD陰キャ主婦の頭の中

特異体質 Ω

暑くない...?

なぜ4月に夏日が連続で続くのだろうか。
まだ梅雨にすらなっていないのに。

私は暑さにめっぽう弱い。なので夏の大半は調子が悪い。
それでいて冷え性なので、特に冬が得意とかいう訳でもない。
春と秋しか快適にすごせない可哀想な生物なのである。
そんな数少ない快適な季節にまで夏が侵食してくるとは...。

と、日本に住んでいる大半が同じことを思っているだろう。(と、思っている)
しかし、実際にその季節がくると、私は他者との違いを思い知るのである。

皆が「暑い暑い」とうちわやハンディ扇風機を片手に清々しく過ごしている。
え?そんな気休めの手法でなんとかなる?逆にすごくない?
なんとかならないのが我の汗の量。文字通りの滝汗だ。

とある日、朝電車をホームで待っているときに、既に水浴び後のような汗に
これまた湿ったタオルを握りしめる。

あたりを見回すと同じような人が...いた!
しかし大体滝汗かいている私と同じ量の汗拭いている奴は、
メタボの男性サラリーマンか代謝が良い子供。それしかいない。

そう、私はいつも思い知らされる。夏の自分の体質が皆と違うことを。

汗の量が気まずいので、
美容室の場所を駅近に設定しているような人間はいるのだろうか。

汗をかきすぎて体力を奪われるので、
夏のイベントほとんど行けないような奴はいるだろうか。

出勤前、大分早めに職場に行き、
汗拭きシートで全身拭かないともたないような奴はいるだろうか。


汗をかきすぎて、朝ストレートにした前髪が自然にΩの形になる奴はいるのかい?
(汗っていうか前髪が異常に天パなせい)

以上、「こんな特異体質は嫌だ」でした。

暑いよぅ。

 

歯医者好きな人、嫌いな人

この2者は永遠に分かり合えない

先日久しぶりに歯医者に行った。定期検診より少し間が空いてしまい、
少し気になる箇所があったからだ。まぁまぁ、磨けているし、プラークの数も減ってきているので安堵したところで、見えない箇所に虫歯があることが発覚。
ちゃんと磨いていると思ったのに!ショック!

「大人なんだから歯医者くらいチャチャッと治せばいいじゃない」
そんな声がどこからか聞こえてきそうだ。

いや、正論も正論なのだが、所詮他人事は軽く考えて然り。
しかし、大人だって嫌なものは嫌なのだ。そう、私は歯医者大嫌い。
今でも毎回緊張するし、幼少期全身ネットで縛られながらの治療は(現代このような治療をしているかは不明)かなりトラウマになっている。

そもそもあんな拷問器具のようなセットを前にして恐怖を感じないほうがおかしい。
(これに関しては婦人科検診もそうだ)
できるならば治療などしたくないように自宅の歯磨き頑張ったのにこの有り様で、
もう気分が落ち込むったらない。

また「大げさな」、とどこからか幻聴が。

私の歯医者の愚痴はさておき、まれに「歯医者大好き!」「歯医者に行くのが楽しみ!」とこっち側の人間からするとドMとしか思えないことを言い出す奴がいる。

かつては私もそうなりたいと思っていたが、よく考えたら両者のそもそものフィールドが違うということに気がついた。そう、こんな感じで。

歯医者が好き=きれいな歯を褒められたい、歯医者のクリーニングが好き
歯医者が嫌い=痛いと分かっている治療が嫌、麻酔痛い、歯石取りすら痛い、口開けるの辛い、気持ち悪い

おわかりだろうか...

そう、この2つの違いは「痛みや苦しみを伴う治療、行為」の有無だ。
試しに変態覚悟で歯医者好きの人に聞いてみるといい。

「ねぇ、麻酔なしの虫歯治療好き?」
「神経取る時のグリグリ感好き?」

好きという人は恐らくいないだろう(というか居たら怖)
もしそんな猛者が居たら「す...すごいよ!君ってやつは...!」、と
称え祀りあげて欲しい。

この両者を同一視して、私のように歯医者好きな人に対してムキになる必要はない。
そもそもの指してるものが違うのだから。

貴方はこっち側の人間ですか?
それともそっち側の人間ですか?

 

発達障害だけどこれだけは対策できてると思うこと

発達障害はいつも失敗だらけ。自身も苦難の連続である。
現在進行系で困っている症状も数え切れない。
無論、この障害が治る事はないので、当該者は常日頃対策を講じる必要がある。
そんな中、ADD/ADHDの診断を受ける少し前から意識して対策が出来るようになった事が1つだけある。

それが「遅刻」だ。

対策を伝える前に、過去の私の遅刻の失敗談を記しておきたい。
少々見苦しい内容だがお付き合い願いたい。


義務教育時代:

遅刻常習犯。学校は高校を除き徒歩5分以内。小学校は登校班があったので、無理やり起こされていたものの、根本的な遅刻を治せるはずがなく、いつも怒られていた。
起床は特に遅くもなかったと思うが、そこからダラダラとして気づいた頃には走り出して登校するも、遅刻かギリギリ汗だくで間に合うかの2択。当然、通信簿にもしっかりと担任から、私の遅刻について注意書きが記されている。

高校では電車通学になりさらにひどくなった。ほぼ毎日遅刻。朝礼の時間を過ぎていつも後ろのドアから入っていたが、いつからか鍵をかけられ、前からしか入れなくなってしまったので、教室内の全員が見ている前で叱責を受ける毎日。


大学時代:

もう1限目が早すぎて無理。その時の言い訳だが、高校とは違い制服じゃなくなった事により朝の支度に時間がよりかかっていた。そして少しだけ遅れるならいいやと1限目にいかなくなり単位が危うい状態を継続し、ギリギリで何とか卒業。
大学では単位の取得は自己責任だが、融通が効いてしまうのもある意味良かったのか良くなかったのか。

新卒時代:

実はこの時もまだ遅刻の対策が出来ていなかった。就活中ですら出来て無くて、思うように現場にたどり着けなかったり、電車に乗り遅れて何度も説明会をドタキャンしてしまった。遅刻ばかりする自分自身が嫌になっていた。
そして、あのパワハラ会社に新卒で入ったが、この頃には遅刻の数は少なくなったものの、ここでも最初は遅刻をしていて叱責されていた。

ざっと思い返すと、ヤバい奴だな私ってやつは...
本当に迷惑ばかりかけてしまって当時関わった人達には申し訳ないと今でも思う。
もっと早く対策できていれば、と悔やむことばかりだ。


一体なぜ急に遅刻しなくなったか

では本題に戻そう。
私が遅刻しなくなった最大の理由はというと、こう悟ったから。

 

「ちょうどいい時間に着こうとするな」

 

これに尽きる。
細かく言及するといくつかあるが、絶対的に厳守すべきはこれ。

じゃあ「丁度いい時間」っていつ?って話になるけども、
あくまで一般的な観点でいうと5分前(10分前)が理想と言われている。

これに間に合わせようとするから遅刻するのは、「時間の読み」が超絶甘いから。
以下の項目が理由で遅刻した経験はないだろうか。

  • 地図上の徒歩5分は本当に5分?
  • 駅は広い、地下はもっと広い
  • 電車やバスはよく止まる、遅れる
  • 必需品を忘れた

近年はスマホの地図で道案内などしてくれる機能も助けとなり、
未知の場所にスムーズに行けるようになった。
しかしながら、油断は禁物である。

 

例を出してみよう。

< 例 >
貴方は新卒の会社に初めて出勤する新社会人(という設定です)

自宅から最寄りの駅まで約12分
自宅最寄り駅から電車を2回乗り換えて約40分で会社の最寄り駅
そこから徒歩8分のビル内、20階のフロアに職場がある
就業開始は9時。しかし初出勤日なので15分前の8時45分までに来るように言われている

さて、この場合貴方は何時に家を出発する?

単純計算で上記にあるだけの所要時間を足し算すると1時間。
7時45分に家を出るとジャストタイムで指定時間に着く計算だ。
でも流石にこれでは余裕がなさすぎるので、ここから15分余裕を持ち、7時半にでるのはどうだろうか。

間に合う...かもしれないが、これでは読みがあまい。

なぜなら、仮に15分のゆとりを持たせたとして7時30分に自宅を出発。
自宅をでてすぐ忘れ物に気づいて戻ったが、予定電車を1本逃して4分ロス
さらに乗り換えで、電車に荷物がはさまったとかで電車が3分遅れ
通勤の人混みが多すぎて、歩くスピードが遅くなり3分ロス
やっと会社についたものの、エレベーター待ちしている人が多くて乗れず5分ロス
初出勤で社員証兼セキュリティカードがうまく反応せずに3分ロス

どうだろうか。
計算すると18分-15分=3分の遅れでもう初日から遅刻。
しかも大半が自分でコントロールできない理由での遅刻だが、
電車の遅れも、この程度では遅延証明書もでない。
「ちょうどいい時間」に到着するのには予想通りいかない事が多い。

結論として

このように、時間の読みの甘さにより繰り返してしまう遅刻を防止するには、
やはり「ちょうどいい時間に到着しようとしない」という前提の上時間を計算したほうがいい。これを念頭にいれておくことで、「まぁ、まだ間に合うっしょ♪」という浅はかな考えを一蹴することができる。

具体的な方法として私がやっているのは最低30分のゆとり」を時間に持たすこと。
なんで30分なのかは、単なる私の経験上の計算だ。状況に応じて変えてほしい。


「初めて行く場所」、「乗り換えや交通が複雑なところ」、「最寄り駅がターミナル駅のところなど」は想像以上に時間がかかるので、4,50分ゆとりをもたせたりする。

早く着きすぎて相手先などに迷惑がかかる場合は、できるだけ現場近くの場所で時間をつぶすといい。徒歩で数分くらいのカフェなどで待機し、そこから約束10分前到着を目安に現場に向かえば良い。
特に私のような発達障害界隈の人間は、自分が待つことに対してはすごく敏感な割に、人を待たすことや、自分の遅刻には鈍感なきらいがあるので、「待つこと」に対してもっと寛容になってもらいたいと思う。

これらを駆使し、現在の私はもうほぼ遅刻をしていないどころか、「時間にきっちりしている人」まで昇格している。

待つことは恥ずかしくない、遅刻するほうが恥ずかしい

なんなら、とびきり早く現場近くに行ってカフェでのんびり楽しむのもまた一興。
遅刻グセに悩んでいる貴方に少しでも伝わりますように。

発達障害(ADD/ADHD)と診断されたとき

以前のブログ記事で「発達障害」と診断されるに至った経緯について
ざっと思い起こして書いてきた。
今回は診断された時の詳細についての補足だ。
診断状況や診断方法については当時のものであり、病院によっては
違う場合もあるのでそこはご理解いただきたい。

経緯も知りたい方は↓↓↓こちらから(3までつづくよ)

yakiimoiinioi.hatenadiary.com

 

先ずは支援センターへ

病院は「発達障害支援センター」で紹介されたところに行った。
とりあえず診察を受けてみたい人で病院などの目星がつかない場合は、
私のように住まいの近くの支援センターを訪ねるといい。
支援センターという名だが、必ずしも診断済みの人だけではなく、
未診断でその疑いがある人に向けての支援も行っているので。
私は親同伴で予約をして、相談に行って紹介に繋がった。

 

いざ病院へ

そこの病院は心理系・精神科の専門病院で、ぶっちゃけ色々不安定な患者も多くいる。
支援センターへ行ったときと同様、親に同伴してもらい、診察した。
話の信憑性をもたせるために、学生時代の通信簿も持参した。

先ずはカウンセリング。
なぜ診察を受けに来たのかを答える。私の場合は、自分がもしかしたらADHD/ADDの
可能性があるかもしれないので、そこをはっきりさせたいと回答した。
そこから医師の質問等に答えながら、自分の生い立ちや生活する上での困りごとなどを話していく。その流れで、親にも同様の質問がある。幼少期どんな子だったか(私が)、何か他の子と変わっているような部分はないか、などだ。
この際に、持参した通信簿などを見せて答えることもあった。

生活での困りごとは主に以下の4つを回答した。
細かく言うならばもっとある。

  • 遅刻
  • 忘れ物
  • 不注意/注意散漫
  • 先送り癖

特に上から3つについては、通信簿の担任からのメッセージの欄でも指摘を受けていたので、きっと判断基準になっただろう。

一通りのカウンセリングの後、医師からほぼほぼADD(ADHD)であると言われたが、もう少し判断するのに知能テスト=WAIS検査をすすめられた。
この日は、これで終了。親はまだ決まった分けじゃない、と言っていたが、私自身はほぼ確信していた。

WAIS検査・レポートを受けて診断

そして後日WAIS検査を受け、レポートを見ながら正式にADDと診断名がくだされた。
ちなみに、WAIS検査をする専門の係の人が医師とは別にいて、もし検査を受ける場合はレポートは事前にお願いしておいたほうがいい。言わないと書いてくれない(患者用には用意していない?)場合もあるそうだ。

診断時、医師からは「軽度のADD(ADHD)」と言われた。
なぜ括弧でADHDなのかというと、恐らく幼少期は私はADHDだった。
自分でも分かるほど衝動的な行動が多く、周囲を困らせていた。
しかし、次第に行動面での衝動性は少なくなり(決して0になったわけではない)
不注意などのほかの症状で困ることが多くなった。

治療(対策)、予防として

投薬について

治すわけでは無いが、緩和治療として処方されたのが、「ストラテラ」。
コンサータについては、作用が強いのであまり薦められないと言っていた。
この点については賛否両論あるが、私自身もあまり強い薬を使用することに抵抗があったので、医師の判断のまま従うことにした。
しかしながら、どちらの薬も合う合わないがあるので、合う人にとっては自立や生活の助けになるであろうと思っているので、作用が強くでるからといってその薬を批判、拒絶するわけでは決して無いのであしからず。

その他の療法

薬の他、医師に薦められた療法がある。
それが、日記やジャーナリングだ。
これはいかなる病にもいえることだが、自身について観察し、記録をつけることで改善へと向かう手助けになる。精神的な病や障害など目に見えないものに関しては特に役に立つと。
毎日の体調や気分が投薬後や療法後、どのように身体に変化があるのか。
はたまた、全く変わらないのか。
薬や療法の経過などについてはまた後日改めて別記事にするとする。

以上が私の発達障害の診断名がくだされた際の詳細だ。
長文で読み辛い中、最後まで耐えてくれてありがとう。

 

マルチにロックオンされた話

弱っている時に近づいてくる奴は大概宗教かマルチ

マルチ=ねずみ講というシステムを知ったのははるか昔のこと。
関連の社名などはなんとなく風の噂程度には耳にしていた。
実際にはこんな身近に潜んでいるとも知らず。

マルチの女(ここからはA子と呼称する)に出会ったのもその頃、
私はとある会社に勤務し、そこで発達あるあるを連発し、
上司から総スカンもといパワハラといういじめに連日耐え忍んでいた。

そんな時、違う部署だがたまに業務で一緒になるA子と出会う。
周りは年齢が離れている人ばかりの中、A子は年も近いこともあり
たまに業務の合間に話すようになった。

ほどなくして、数々のパワハラに耐えれなくなった私は退職を決意する。
A子が実際に動き出したのはその時だ。

今まで軽い会話はするもの、そこから発展することはなかった間柄だったが、
退職が決まってから、A子からちょくちょく遊びに誘われるようになった。
遊びには、A子が連れてきた友達B、Cが一緒で、コミュ障の私は
(あぁ、これは私が輪に入れないパターンかもしれない)と感じたが、
実際は恐ろしいほど親切で、BとCも何故か私をもてなす形で決して
その3人だけで会話を広げたりもしなかったのを覚えている。

ものすごく違和感を感じたが、その時はこういう親切な人たちも中には
きっと存在するんだろうと思っていた。
が、事態は私の退職後に急展開する。

誘われたカモ

ある日A子からメイクの講習会があるのでこないかと誘いを受けた。
仲間内でメイク用品を使用してメイク方法などを勉強するとのことだ。
コミュ障ながらもメイクや美容に興味があった私はすぐさま頷いた。

メイク講習会当日、私はのこのこA子に誘われるがままとあるマンションの1室へと向かう。そこには先日会ったBとCが既に待っていた。

部屋へ入ると同時に、私は違和感に気づいた。
テーブルに冊子が1冊ポンと置かれていて、その冊子の表紙に
某有名なマルチの会社の名前が書かれているではないか。

あ... これは...。

一瞬で察したものの、まだ来たばかりで帰る口実も思い浮かばない。
何より、相手は3人いるので急に態度を変えて何かあっても困る。

最悪な状態の中和やかに始まるメイク講習会。
私は実験台のように顔に色々塗られ、それを皆が褒めまくるという
おおげさなTVショッピングでよく観るアレを実際にやられた。

素人ながら美容知識は持ち合わせていた私は、反応にとても困った。
顔がピリピリしていると伝えるも、「好転反応だ」と言われる始末。
私は肯定も否定もせず、適当な相槌でやり過ごす。

メイク用品で釣られないと踏んだや否や、
その後は水やキッチン用品などさまざまな物の”良さ”を力説された。
話の内容はこんな感じだ。

B:水って何飲んでる?
私:えっ ミネラルウォーター...
B:今飲んでる水は身体に効果が現れるのが3ヶ月後なんだよ

私:えっそうんなんだ へぇ...(きいたことないわ)
B :食品とかも色々なメーカーのものを取り寄せたりするの大変じゃん?それなら安心できる信頼があるところでまとめて一括で買ったほうが身体にもお財布にもいいよね。そこでこの商....

もうこのあたりで反論するといかに自分達が進める商品がいいかの演説が始まるので、肯定もしないけど、「へーすごいねー(棒)」「良くわかんないからいいやw」でのらりくらりとやり過ごした。

そうすると何が起こるかというと、
今度は私を勧誘側のポジションをやらないかと職をすすめてくるという。
もう商品を売るのは見込みが無いと判断したのか、次は自分たちの組織の話を説明してきだした。

おいおい、勘弁してくれよ...。そんなもの興味があるはずがない。
その後はやたら夢はないか、仲間が沢山いる、成功者(恐らくそのマルチのトップ)の写真を見せてこうなりたくはないか...等

一人暮らしの都会に出てきて間もない、傷ついた若者(当時)を誘い込む甘い台詞ばかり吐いてくる。そんな奴らに対して答えた私の回答はこうだ。

「夢は特に無い。友達沢山いらない。成功者みたいに高級車に乗ることも興味無い」

文字に起こすとちょっとアレだが、実際にそう思っている。
今でもこの考えは変わらない。

そもそも私を何だと思っているのか。
職場いじめに傷付き、鬱状態になっている私に商品を売りつけようとし、それが叶わないなら自分たちの傘下においてそれで甘い汁を吸おうとしている。

そう、私は奴らにとって完璧に「カモ」扱いだったのだ。

講習会のその後

引きつり笑いでなんとかごまかし、長い講習会を無事にやり過ごした。
帰宅後即A子に、「もうこのような誘いは止めてほしい。すごく嫌な思いをした。このような誘いをする場合は絶対にいかない。」と連絡した。

連絡したその後も相手は懲りずに、メイクがダメなら料理会はどうだと、
何度か誘いがきたが、その度に断り、最後は無視した。

あくまで私の予想だが、A子も心からやりたくて意欲的にやっているというよりかは、もう後に戻れずにやるしかなくてやっているように見えた。
仕事も複数掛け持ち夜遅くまで働き、そしてそのお金でマルチの商品ばかりを買わせられる。色々な講習会()という名の似た者同士の集まりで傷を舐め合い、大切な時間とお金を取られ、そして嫌がる相手にこれまた微妙な商品を売りつける。

私から見たA子は全く幸せそうではなかった。
そして、そう思うと同時にその同じ状況に私を追い込もうとしたことに憤慨する。

そこを抜け出すのは簡単なことではないかもしれないが、
もし、似たような境遇にいる人がいたら1日でも早く目を覚まして
現実をしっかりと見つめて欲しい。辛抱強く抜け出す術を探し、
関わりを絶ってほしい。

そしてそうならない為には、自分が相手にとってどういう立場か、
自分が関わることで相手に何のメリットがあるかを真剣に考えてほしい。
決して「カモ」になってしまわないように。

 

 

 

 

発達障害と診断されるまで3

なんでこんなにダメなんだろう。
2社目を退職後、鬱病になり、数年間は短期の職を転々とした。
幸い、親が援助してくれて何とかやり過ごせていただけだ。


ついに診断へ

なぜあれから数年も診断にかかったのかというと、
一番は家族の説得に時間を要したからだ。*1
特に親は「発達障害」ということを口にすると、逆上するか、
考えすぎだと私を説き伏せようとした。恐らく遺伝という観点から、
自身の責任があると考えている節があった。それを認めたくなかったようだ。

しかしながら私の鬱が進行し、飲食を忘れてベッドに死人のように横たわっていることが増えた。筋力も衰え、近所の平地を歩くだけでも意気があがるようになっていた。そしてその時期をきっかけに、親が一緒に病院に来てくれることに繋がった。

まずは、最寄りの支援センターで情報を収集し、発達障害関連に理解のあるような病院を探した。

そして、親に同伴してもらう形で「ADD(ADHD)」という診断名が下った。
診断の時の状況となぜ(ADHD)なのかは別のブログに書き記そうと思う。

ここに来るまで短いようで長かった。
今ではメディアでもよく話題になる「発達障害」だが、ほんの数年前まではほとんどの人が知らなかったであろう。

私からみて親もゴリゴリの発達障害なのだが、うっすら自覚があるのもあって認めたくない人を病院に連れて行くのは至難の業だった。

診断後の就職が良くなったかどうかについては何とも言えない。
ほとんどクローズ状態でしか仕事をしていないから。これもまた
別記事にしようと思う。

でも、「自分を知る」という点と、「家族の発達障害への理解」という点では
診断を受けて良かったと思う。
もちろん、家族からの完全理解は望めないし、
それは不可能に近いという事は先に述べておきたい。

*1:近年の発達障害の診断方法はわからないが、当時は診断の判断材料として自身の過去の通信簿や、幼少期を知る家族などの証言などを参考にして判断していた為親に同伴してもらう必要があった。
(地域や病院の方針によって違いはあるかもしれないのであしからず)

発達障害と診断されるまで2

最初の会社を退職後、発達障害について調べては、
自分にあてはまっているのではないかと周囲に相談した。
しかし、その時は気のせいだとたしなめられた。
きっと考えすぎて、鬱状態なんだと。


次の会社

前回のパワハラいじめ満載の会社を退職後、次の会社に勤めた。
そこでも私は失敗を犯す。

まず前提として、数字関係は発達障害の鬼門である。
その上で私は、前回は会社と人間関係が良くなかった。
次は前回の失敗(仕事上の)を繰り返さないように、スピード重視ではなく、
少人数で、なるべく1人で業務ができる環境を希望した。

その考えは良かったが、職種がそもそも間違いだった。
今度は会社自体は小売業だったが、職種が経理だった。
そう、全く違う畑の仕事は再就職にも不利であり、
経験が浅い私は前職とどこか近しい仕事で勝負するしか考えられなかった。

不安は沢山あったが、前回とは状況が違う、大丈夫だと自身に言い聞かせ、
再就職の扉を開いた。少人数で、人間関係も悪くない、
仕事も落ち着いた環境で出来るのでミス自体の数は減っていた。

しかし、ミスの数自体は減ったものの、自分に任せられる仕事が増えた分、
仕事の重要度が上がっていった。その分、上司に何度もミスを庇ってもらい、
書類のミスで上司を提携先の委託会社まで出向かわせることも多々あった。

これもなぜミスをするのか、落ち着いて何度も書類を確認するも、
結局同じ間違えを繰り返してしまった。
そして、私自身の至らなさで申し訳なさすぎてもう迷惑はかけられない、と
止むなく退職の道を選んだ。

これはやはり私が”普通”ではないんだ、とこの時確信した。
この日をきっかけにして、数年後、病院で診断を受けることになる。